今のようにトラクターなど機械化された農機具がなかった時代、一人で田畑を耕し工作物を生産する事はとても困難でした。実りがなければ、翌年は飢え死にしてしまいます。村の人間同士で協力し合いお互いの田畑を協力して耕し、収穫しなければなりませんでした。
こうして収穫された農産物の中で最も良い部分を神様への感謝の気持ちとして神社に捧げ、さらに翌年の豊作を祈念します。
日本の主食であるお米を例に挙げれば、奉納されたお米は翌年にお下がりとして、農民たちに戻って来ます。これを種として生産して行く事により、自然の品種改良となっていきました。このように小規模なコミュニティーの中心というだけではなく、農業を発展させるメカニズムも組み込まれていました。
海なし県の長野には諏訪大社があります。この神社の神殿には、海の魚が彫られています。海がないのになぜ?と思うでしょう。実は山を整備するという事は、山に蓄えられた養分が川に流れ、さらに海へ流れ着きます。この養分をえさにするプランクトンが発生し、これをえさにする魚がやって来ます。日本近海が漁場となるのです。
つまり山を整備するという事が、漁業を豊かにしているのです。このように日本には古くから大きな規模の環境保護が日本全体の生活を豊かにする仕組みが神社を通じて行われていた事がわかります。