全国の神社の大半は神社神道と区分されます。この神社神道は、その名の通り神社の神道です。
簡単に説明すると伊勢の神宮(いわゆる伊勢神宮)を本宗としてしている神社の宗教が神社神道です。
現在では神社は宗教法人となっていますが、神社は宗教では無いと定義されていました。
神道という名称
「神道」という言葉は、日本書紀にも見受けられます。現在のように仏教などと区別する語として日本の伝統的な信仰形態を意味するようになったのは、江戸時代中期以降です。江戸時代になり、日本の伝統文化に着目されるようになると、「国学」が発展してきます。
明治中期以降に「神道」という言葉に統一され一般的になりました。
神社は宗教では無い?
明治維新を機に、中央集権体制を進めるために神道を国家の柱とします。神道をいわゆる国教と位置づけました。天皇の祖先神であり、最高神である天照大御神を頂点として、全国の神社がならび、各家庭には神棚がありという図式です。
しかし、当時の神社には神仏習合が長期にわたり根付いていました。このため、神社から仏教的なものを排除しました。そして、村にある様々な神社を統廃合して国家管理としました。
これがすべてうまくいったわけではありません。
まず、諸外国(主にイギリスなど西洋諸国)からは神道を特別扱いしすぎであるという圧力。昔ながらの信仰が変えられることから各地の庶民からの不満。出雲大社からは、大国主命を天照大御神と同列に扱って欲しいという訴えが起こりました。
そのため、明治政府は「神社は宗教にあらず」とし、神社を「国家の宗祀」と位置づけました。
世界的に見て「宗教」の定義の一つに「教義」があることになっています。しかし日本の神道にはこれといった教義は無く、日本の民族の風習や文化的な儀礼の総称と考えることが出来るのです。
例えば、世界の祭りには豊作を祈ったり、収穫を神に感謝する風習がありますが、これを宗教行事と位置づけるほどではありません。逆に、「豚を食べてはならない」など、戒律を守らなければいけないことは宗教独特のものです。
神道には、このような教義や戒律はなく宗教的な側面は無く、日本民族の伝統的な風習や祭祀があるのみと考えることが出来たのです。
それまで、神社はお寺が管理をしていたり、村の共同管理だったりしたのですが、国の費用で運営するかたちになりました。このために、現在より数倍あった村の神社はまとめられていきます。(現在一つの神社に沢山の神様が祀られているのは、このときに合祀されたからです)
また、江戸時代までは神社もお寺も区別無く、同じ敷地にあったり、神社に仏像があったり仏教の神様が祀られていた場合もありました。これを、明確に分け、神社から仏教色を無くしたり、ご祭神を仏教由来の名称から日本の神様の名称に変更しました。
教派神道の誕生
このような流れで、違和感を覚える人が出てきたのです。神道が宗教ではないとされたことや祭祀の統一などが進められるなかで、古来から続く信仰など神道の宗教的側面が消えていくことに危機感を抱くことになるのです。
そこで、仏教やキリスト教などの諸派とは別に、神道系の新宗教を含め政府から公認された神道の教派が形成されました。当時は神道十三派と言われました。
- 黒住教
- 神道修成派
- 神宮教
- 出雲大社教
- 扶桑教
- 実行教
- 神道大成教
- 神習教
- 御嶽教
- 神道大教
- 神理教
- 禊教
- 金光教
- 天理教
これらの神社は、今でも宗教法人として存続していて、ほとんど神社と同じ場合もあれば、神社っぽくない社殿の場合もあります。一般的な神社とは、祭祀の仕方がちょっと違うことが多いようです。